生き物と共存 道路に横たわっている生き物たちⅠ

2021年5月3日

pochakoro(ぽちゃころ)
pochakoro(ぽちゃころ)

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車に轢かれてしまった、全ての生き物たち

生き物のいのち

車を運転しているときに、かなりの確率で、道路に横たわっている生き物に遭遇します。

生き物の種類も、経過具合も様々です。

(リアルな表現で、気分を害された方がいらっしゃいましたら、申し訳ございません)

皆さんも、よく遭遇されますか?

そんな時、道路も横たわっている生き物たちを目にするたび、いつも申し訳なく思います。

道路の拡張や、店舗や施設の増設、家の増設などなど。。。人間の利便性のために、自然が壊されて住む場所を追われ、私たち人間の利便性のために、環境の変化が起こり、危険を冒さなければいけないところまで、食料を求めに来なくてはいけなくなってしまったがゆえに、命を落とす。。。

道に横たわっている生き物たちのほかにも、人間の身勝手で、繁殖や処分や、捨てられる生き物たち。

本当に申し訳なくて、見るたびに苦しくなって、涙が出そうになります。

だから、いつも道に横たわっている、その子たちを見た時、お祈りをします。

せめてもの、償いの気持ちです。

祈りという謝罪

私は、特に信仰している宗教はありません。

強いていえば、家族が亡くなると、お寺の住職の方にお願いするので、仏教になるのでしょうか・・・

私、個人の考えですが、この何とも言い表せない悲しく、申し訳ないという気持ちに、宗教の違いはないように思います。

祈る内容は、私たち人間のせいで犠牲にしてしまって、申し訳ないという思いでいるということ。

素直に『ごめんなさい』。

それは、導いてくれるであろう方たちと、犠牲を強いてしまった生き物たちのどちらにも、伝えています。

そして最後に、『どうか、いくべき所へ導いてください。そのためにも一緒に祈ります。お願いします。』と、『どうか、必ずいくべき所へ導かれます。そのために、一緒に祈ります。』と祈って、3回ほど息を「フー、フー、フー」と吹きかけるようにしています。

この私の行っている、お祈りの方法があっているとか、間違っているとか、私にはわかりません・・・

ただ、その方法が私にはしっくりくるので、行っているだけですが・・・

亡骸から学ぶこと

ただの亡骸ではないということ 亡骸から想像をする

道端やどこかで亡くなってしまっていたり、そこに横たわっているのは、目に映るその子たちだけですが、もしもその亡骸が親だったとしたら・・・食料を探している時だったとしたら・・・待っている子供たちも食べられず、守られずに、息絶えてしまうかもしれない。

そう想像をすると、それはもう、そこにある亡骸だけの問題ではなく、連鎖を招くものなのだと考えてしまい、想像すると泣けてきてしまうのです。

この続きは、また後日に書きたいと思います。

今日は、この辺で👋😊 最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。 皆様からお読みいただいた後の、ご意見やご感想、ご質問などのコメントをいただけますと、今後の励みにもなり、とても嬉しいです。お待ちしています。 どうぞ、今後も宜しくお願い致します。😊😌

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生き物

Posted by pochakoro